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希望の行方1(運命の分かれ道の続き)

パリの街角はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
慌ただしく行きかう人々の声に、馬車の車輪が石畳の小さな溝でしきりに跳ね上がる音が混じっている。
馬車の窓からそんな喧騒を眺めながら、アンドレは不思議な感覚に襲われた。
もうすぐ暗闇が訪れる中で、朝早くから働いた庶民は、これから家族とともにささやかな寛ぎの時を迎え、早々に寝床にもぐってしまうのであろう。深夜まで酒や快楽を求める男たちや、それを提供する女たちは、これから酒の香りの混じった濃厚な灯のもとに、まるで光に誘われる蛾のように群がるが、彼らは明るく健全な昼間があってこその自分たちだということを知っている。
だが・・・とアンドレは、馬車の向かいの席に憮然と座っているオスカルをちらりと見る。
だが、貴族は違う。
夕闇がフランスを支配してからが、彼らの本当の時間なのではないか・・・とアンドレは感じていた。
今夜はどこの邸宅で舞踏会が行われるのだろうか?
かって王妃が足しげく通い、オスカルが苦々しく思いながら供をした怪しげな仮面舞踏会はまだ健在なのだろうか?
豪華な衣装に身を包み、恋愛に励んでいる彼らにとって、昼間の労苦など、蜃気楼か陽炎のようなものではないか?
ごくまっとうなのは、一部の貴族だけではないのか・・。
例えば、目の前のこの女性のような・・。
そうアンドレが思ったとき、馬車の中の空気が動いた。
オスカルが組んでいた腕をほどき、自らの頬に手を当てている。
「痛むか?」
アンドレの心配に、オスカルは口の端で笑った。
「ふん、こんな程度の傷、怪我のうちにも入らぬぞ。」
いつもの負けず嫌いに苦笑しながら、アンドレは身を乗り出して彼女の頬のすり傷を注視する。
「見せてみろ。応急処置はしたが、化膿でもしていたら大変だ。」
「・・いい。」
隠そうとする彼女の手を軍服の腕ごとつかまえて、アンドレは右目を傷に近づける。左目は失明を免れたが、夕暮れの薄暗い馬車の中では、はっきりと物を捉えるのは難しかった。
衛兵隊での昼間の乱闘で負った傷は、かすり傷ほどのものだった。だが軍人とはいえ、彼女は女性だ。男の自分とは違うのだ、とアンドレは肝に命じていた。類まれな気高い心を宿すこの身体には、ポリニャック夫人の差し向けた暗殺者の剣で切られた傷も、王妃を落馬から救ったときに受けた傷もすでに跡として残っている。彼女の身体を愛撫したときに、それらを発見し、どれだけ哀しく思い、同時にどれほど愛しく思ったことか・・・!傷など、彼女の真の美しさの前では、何ほどのものではない。どんな醜い傷であったとしても、自分はそれをも愛するだろうとアンドレは知っていた。だが、これ以上の傷跡など断じて残したくはない。
受けた傷の数だけ、オスカルの心が傷つくのだから。
しばしの沈黙が落ちた。
見え難さのために、真剣に見詰めすぎていたのだろう、そんな自分にアンドレはハッとした。
オスカルの白く端正な横顔が、窓からのとぼしい光でさえ輝いていた。毅然としたその横顔は、男が傷を見終わるのを横目で確かめる。
「・・もう、いいだろう?」
「ああ、すまない」
慌ててアンドレは、彼女の腕を離す。女性にしてはしっかりとしているが、衣服を通しても意外に細い感触に心が痛む。オスカルは離された腕をもう片方の腕でそっと包む。心なしか彼女の目の端に艶が浮かんでいた。
微かに視線が交差し、離れる。
あれから、
ロザリーが旅立ったあの日から、二人の間の空気が明らかに変わった。
傍目には特に目立った変化はない。
アンドレは従者としての自分の立場を崩してはいない。
激情の時が過ぎたあと、彼はひたすらオスカルの補佐に徹している。あれからオスカルと彼はフランス衛兵隊に転属し、苦労の絶えぬ日々を送っているためだが、何より彼の心の全てが、愛しい女性の安全に費やされていた。
・・・不思議だ。こんなに穏やかにお前を見詰めたことはなかった。
アンドレは再び、窓の外を流れていく街に目をやる。
もう随分昔から、身分違いの片恋いに苦しむ日々を送ってきたのだ。一番近くにいるのに、男として見てもらえず、それどころか他の男に心惹かれていくのを、ただ見守っているだけであった。緩やかな絶望に支配されていた年月であった。
それがどのような運命のいたずらか、未来のオスカルが目の前に現れ、自分を愛してくれた。あろうことか、肌を重ね、歓喜の涙を流し合い、愛をささやきあった。
しかしそれは幸福の始まりではなく、愛ゆえの苦しみの始まりだった。
抑えても抑えきれない男の欲望が、彼女への執着が、アンドレの心を知らずに蝕んでいたのだ。それは、オスカルに訪れる運命から彼女を守ろうと決意した気持ちさえ、その苦しみの重さをもって押し潰していった。
そんな自分を救ってくれたのが、他ならぬオスカルだった。
・・・お前はこんな俺を許してくれた。それどころか、愛し始めてくれている・・・。
街の臭気と煮炊きの匂いの混じった風が、アンドレの黒い前髪をなぶり、左目の上にはっきりと残っている傷跡をさらしだす。
それは・・・十字架の杭の跡。
・・・こんな俺になぜ想いをかけてくれるのか・・・貞操を奪った男に律儀に愛を向けてくれたのか・・俺には分からない。だが、お前は俺を男として見てくれている・・・
彼はオスカルに目を向けた。彼女も反対側の窓の外を眺めていた。
誰をも寄せ付けないような怜悧な青い瞳が、やがて彼の視線に気づくと、今度はまっすぐに見つめ返してきた。
「なんだ、アンドレ?」
罰の悪そうな、だが、はにかんでいるようにもみえる笑みが浮かんでいた。
「顔に一つや二つ傷が残ろうと、私は気になどしないからな。」
その視線が、一瞬アンドレの左目を深くとらえた。
「・・いいな?」
衛兵隊の若い兵たちがアンドレの左目をからかっているのを、彼女は知っている。強い光が瞳の中にあった。
「分かっているよ、オスカル、だが・・・」
アンドレは穏やかに言った。
「もうすぐロザリーの家に着くぞ。ロザリーに叱られるのは、俺だろうな。俺がそばにいながら、どうしてお前の顔に怪我をさせたのか、役立たずだと言われるね。そしてル・ルーに質問されるのはお前だぞ?今日は、一体何人と喧嘩なさったのですか、お姉ちゃま?・・・ってね。」
「おお、神よ・・」
オスカルは大げさに額に手をやった。
「そして、アンドレ、お前はさらにばあやにも叱られるのだな?ああ、神はどうして従順な子羊たちに、このような罰を与えたもうのか。」
「従順とはいいな。」
アンドレは笑った。
「オスカル、お前だろう?アランとかいう一番生意気な奴の右目を腫らしたのは?整列させたときに、あいつ半分しか目があいていなかったぞ。それに奴ら全員、お前より傷が多かったな。奴らは一体、どこの国の一個中隊と戦ったんだ?」
ふん、とオスカルはあごを上げる。
「半分はお前だろう、アンドレ?なかなかいい戦いっぷりだったな。」
「仕方ないだろう?いきなり誰かがガキのように飛び掛かっていくからだ。」
「あいつらはまだガキだ。相手のレベルに合わせただけだ。」
「挑発したのは、お前のようだったが?」
「私は言うべきことを言っただけだ。遠慮をしていたら、いつまでも理解しあえぬだろう?」
今日、赴任して何度目かの乱闘騒ぎが衛兵隊で起きたのだ。中心はもちろんオスカルだった。
彼女は体をはって、若い兵士たちと向き合っている。アンドレはもちろんよく理解していた。だが、幾度も暴力沙汰を繰り返すのはさすがに不安だった。とにかく相手は男、しかも若い男たちなのだ。大事な女性に何かあってからでは遅いのだ。
「だが、オスカル・・」
アンドレは、真面目に言った。
「俺が心配なんだ。こんなかすり傷程度で終わらない事態がいずれくるかもしれない。お前に何かあったら・・・俺は死ぬぞ。」
彼の言葉に、オスカルは目を開いた。
じっとアンドレを見詰め、その視線にやがて怒気が混じり、顔が赤く染まった。
「馬鹿か、お前は!」
彼女は怒鳴った。
「命を粗末にするな!私が許さぬ!」
青い瞳に真剣な怒りを感じて、アンドレは素直に謝る。
「すまなかった、オスカル。俺の言い方が悪いな。」
「・・・謝ればすむ話などではないぞ、アンドレ。何のために戦っていると思うのだ、私とお前は!」
睨みつけてくる眼差しに、寂し気な色が宿る。何と答えようかと迷うアンドレであったが、窓の外からのいきなりの声に驚く。
「なあに?どうして二人は喧嘩しているの?」
ル・ルーが背を伸ばして窓から中を覗きこんでいた。
いつの間にか馬車は止まっていた。見覚えのある風景、ロザリーとベルナールが住む家の近くの辻であった。
「オスカルお姉ちゃまのお声、馬車の外まで響いていますわよ。あら・・・それに、お顔のお傷がまた増えていますわね、今日は何人の方をお倒しになったのですの、お姉ちゃま?」
ムッとしたオスカルを、アンドレは目で宥める。
少女はニコッと首を傾げていた。








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待ってました!

前シリーズ終了から3か月余り…待ちに待った新シリーズ第1話のアップ、ありがと~ございました! オスカル様とアンドレの「微妙な(=萌え度の高い)からみ」に、前シリーズを拝読していた時のわくわく感が一気に甦りました。

今シリーズのオスカル様はきっと、「王宮の飾り人形」からの脱皮を模索し、格闘していくのでしょうが、今や原作とは異なるポジションにあるアンドレと、パワフル・ル・ルーが彼女にはついているのですものね。「希望の行方」というシリーズ名もうれしく、次話以降を心待ちにしております。

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ぶうとん様

早速、見つけて頂き、ありがとうございます!
何となく続きが書けそうな気がしたから・・という、見切り発車です。
週に一度ぐらいの更新になると思います。

そう、今シリーズは格闘の日々かもしれません。
アランが登場しますし・・
どのような話になるか分かりませんが、まだ最終シリーズではないのは確かです。

ゆっくりとお待ち頂ければ嬉しいです!


す・・・様

通って頂き、ありがとうございます!

そうです、タイトルで安心していては危険ですよ。
未来に希望があるのか、
それとも希望の先に別の何かが待ち受けているのか・・・

まだ最終シリーズではありませんので、主役の二人が命を落とすことはないので、
その点はご安心くださいね。


A・・様

ご訪問ありがとうございます!

もう二人は密かに相思相愛ですわ・・
この歯がゆいドキドキ感が、書いていて一番楽しいです・・

ちなみにアランは、アニメのアランではありませんよ。
原作に忠実なアランですよ。

お楽しみに!

あま・・様

コメントありがとうございます!

心待ちにしていただき、大変光栄です。

前シリーズでは、いろんなことがあったような気がします。
中でも、アンドレの亡霊は再度現れて欲しいなあ、と思っています。
また、ドロドロするぞ!みたいな予感がヒシヒシと・・

これからも宜しくお願いします。

No title

時々訪問しては、やはり8月26日あたりなのだろうかと自分をなだめる日々でした・・・が、なんと更新が!!
そしてお話も「運命の分かれ道」の続きとは・・・重ねて喜びにうち震えました!( ;∀;)
前のお話の流れを反芻しながら読んでいくと、なおさら艶やかな雰囲気で・・・素敵です( *´艸`)♡
衛兵隊でのキツイ反発に立ち向かうオスカル様と、命懸けで守ろうとするアンドレ・・・ワクワクで胸が一杯になります!!(もちろん、ル・ルーの活躍も)
ありがとうございました!!

あんぴか様

お待たせしました!

「読み切り」を書くのも楽しかったのですが、何せ本ストーリーが進んでおりませんので、
書きたくても書けない状態に陥りました・・
それならば、いっそ!と思い立ち、新シリーズスタートしました。

どうなることやら衛兵隊の日々・・です。

ゆっくりの更新になりますが、またお付き合いくださいね!



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ポ・・様

お読み頂き、ありがとうございます!

原作では、このあたりからのオスカルは本当に素敵です。
凛々しいのに、色っぽくて・・
それに近づけながら、新シリーズはアクティブにいきたいと思います。

穏やかなのは・・
穏やかなのは・・今のうちだけ!

楽しんで頂ければ、嬉しいです。

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t・・様

待ち焦がれて頂き、ありがとうございます!

ま、まさか衛兵隊時代まで続くことになろうとは、思いもしておりませんでした。
どうなることやら・・全然分かりません。
一つ一つゆっくりと進めていったら、どこに辿りつくのでしょう・・?
私も楽しみです。

ゆっくりと更新をお待ちくださいね。
t・・様も夏バテにはお気をつけて!
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kakonokaori

Author:kakonokaori
「ベルサイユのばら」の二次創作です。個人的な楽しみで執筆しております。原作関係者の方々よりクレームを受けた際には、中止します。お目汚しではございますが、お好きな方はご訪問下さいませ。

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