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運命の分かれ道31

激情の後にオスカルを訪れたのは、不思議なほどの静寂であった。
アンドレの去った扉をみつめる彼女の心は、一人誰もいない荒野に立ちつくしているようであった。
空から、冷たい雪が降り注いでくる。雪は冷たいのに、優しくもあり、ほのかなあたたかさも芯にくるんでいて、荒野の寒さから彼女を守ってくれている。どこまでも広がる暗闇にゆっくりと積り、彼女の足元にわずかな光をたたえている。
・・・ああ、アンドレ、お前は私を愛しているのだな・・・
女の胸元から、男の匂いが立ち上ってくる。今日一日を骨惜しみすることなく働いただろう男の汗、必死に口づけを繰り返したための唾液の跡、愛を乞うて流し続けていた涙が、女の素肌にまとわれている。
オスカルはアンドレがかけてくれた上掛けを落とし、幻の男の頭を抱えるように、両手を前にまわす。空を切った腕は、自身の二つの頂きに触れる。貴婦人のようにこれみよがしにコルセットで盛り上げることも、人目にさらすこともなかった女の象徴・・・。今まで、彼女はそれに興味を向けなかった。魅力があるとも思えず、ないがしろにしていたそれを、アンドレは大切な宝物のように触れ、口づけを繰り返していた。
・・・お前は、私を・・・
彼女は立ち上がった。彼の狼藉の証拠を、この部屋から消し去らねばならなかった。クローゼットから別のブラウスを取り出し、急いでボタンをはめる。そして、アンドレと自分が乱した寝台を整え、原型をとどめていないブラウスを拾い、続きの間の暖炉に放り込む。早くしなければ、ロザリーだけでなく、いつまでもお呼びのかからないばあやや侍女が、待ちきれずに現れるかもしれなかった。
暖炉に残っていた種火を、火かき棒で起し、炎がブラウスをのみ込みだして、ようやく彼女は安堵する。
絹が焼ける独特の匂いが広がる。炎はさらに大きくなっていく。
それを彼女は、まるで罪の炎のようだと思った。
神の御前での誓いも交わさず、国王陛下の許しも得ずに、男女の交わりをもった自分の姿を、炎にのまれていく破られたブラウスに投影する。教会の教えでは、許されることのない、大罪であった。
ブラウスが完全に燃えてしまい、証拠を消し去ったあとも、彼女は炎から目を離せず、ソファーに腰かけて、青に赤にゆらぐ様を眺める。
凪いでいた。
心には、怒りはなく、ただ静かに雪が降り続けている。
・・・人間とは、なんと愚かで哀しいものだろう・・・
ただただ、それだけが心を占めている。
・・・フェルゼン、私はもう無垢ではなかった。すでにお前の妻には相応しくなかったのだ。
セーヌ川から吹き込む風からオスカルをかばい、男らしい腕の中に抱きこんでいた、彼の暖かいまなざしが蘇る。
戸惑いはしたが、幸福であった。今までどれほど、そのたくましい腕を、愛おしく見つめてくるまなざしを求めてきただろう。あの時、フェルゼンは嘘偽りなく、私だけをみつめていた。
だが、オスカルが彼に告げたのは、別れ、であった。
・・・フェルゼン、お前を拒絶したとき・・・どんなに私の心が痛んだか分かるか?今もまだ体の奥で、その痛みが消えずにいる。これは生涯・・・消えぬだろう。
フェルゼンの腕の中で、オスカルは言った。
「・・・フェルゼン、私はもう、お前を愛した頃の私ではないのだ・・・。あの舞踏会で、私はお前への思いを断ち切ったのだ。そして・・・それからいろいろな事があった。私の価値観を変えてしまうような様々なことが・・・」
黒い騎士との出会い、アンドレへの思い、貧しさにうごめくパリの市民たち。
「・・・私はもう、以前のオスカル・フランソワではない。私たちの間の時は流れ去ってしまったのだ・・・。私は、己の道を歩いていかねばならぬ。女としての幸せを得ることは・・・出来ぬのだ・・・」
「オスカル・・!」
腕の力が強まった。
「なぜ、そこまで自分に厳しくあろうとするのだ?痛々しくてならないのだ、こうして抱きしめ続けてやりたいと思う。私とお前なら・・・お互い尊敬しあい、いたわりあうことができる。それも、愛ではないのか?」
「・・・フェルゼン・・・」
どんなに心が震えただろう、どれほどこのまま甘えにまかせて、彼の胸にすがってしまいたいと思っただろう。
だが、オスカルは彼をまっすぐに見上げた。
「・・・すまない、フェルゼン。」
「・・・どうしても?」
「すまない・・・」
決意が変わらぬことを見てとったのだろう、彼は哀しい微笑を浮かべて、ゆっくりと彼女を解放した。
「オスカル・・・私は弱い人間なのだ・・・かってアントワネット様から逃れるために、アメリカに渡ったように、今もまた、お前に逃げようとしていると思われてもしかたがない。だが・・・。」
この時、初めて、男の目に光るものがあった。
「お前を親友としても、女性としても愛おしいと思っているのは・・・まぎれもない真実だ。ずっと幸せを祈っている。どうか・・・無理をするな。」
「私もだ、フェルゼン。私は・・・お前を愛していた。」
視線を交差させる二人の隙間に、風が強く吹き込む。
「・・・もう、会うことはできないのだな・・・」
「ああ・・・」
うなづく男は、右手を差しだしてくる。オスカルは自分の手を重ねた。
・・・ああ、別れを前に、ようやくお前と心を通わせることが叶ったのだな・・・。
繋がれた手は、いずれ離れるときがくる・・・。
オスカルは、彼に背を向け歩き出した。
・・・私の青春はお前への愛と共にあったのだ。永遠の別れが訪れるとは、神よ・・・!なんと残酷なことを・・・!
今一目、その姿を焼き付けようと、彼女は振り向いた。フェルゼンは元の場所で、彼女を見送ってくれている。
オスカルは・・・彼のまわりに牢獄の幻影を見た。
天地が滅びようとも報われぬ愛に、とらわれた囚人の姿・・・。彼女は知っていた・・・王太子殿下の病を、自分の罪であると怯えているアントワネットの嘆きを。夫以外の男を愛してしまった己に下された罰だと責めている王妃の姿を・・・。
・・・フェルゼン、お前がそれに気づかぬ訳がない。おお・・・どれほど傷ついているだろう、苦しんでいるのだろう・・・!お前を牢獄から助け出せるのは、私だけだったのだ!最後の救いの糸を、私は断ち切ってしまったのだ!
立ち止まったオスカルに、彼は安心するように頷いてきた。彼女は走りだした。走りながら、心の中で繰り返す。
・・・すまない、フェルゼン!お前を牢獄に置き去りにする私を許してくれ・・・。私は、軍人として貴族としてもっと広い世の中を見たいのだ、そのかわり、そのかわりにフェルゼン、誓おう・・・私も女の幸せを捨て去る、と。
バチリ。
はぜた火が、オスカルを回想から呼び戻した。
・・・アンドレ。
なんという皮肉なのだろう・・・と、微かな笑みが、炎に照らされた白い顔に浮かぶ。
・・・そう決意した途端、お前に愛を告げられるとはな。いつから私を愛していたのだ?ん?
寝台の上で、彼が愛を告白したとき、オスカルの体が震えた。よろめきながら寝室を出ようとする背中に、走りでて抱きしめたい衝動にかられた。
・・・お前を、信じている。分かっているのだ、この世で誰が私に背こうとも、アンドレお前だけは、私を裏切らぬ。何か・・・話せぬ理由があるのだろう?お前に触れられて一瞬見えたのは、無理矢理犯されている光景ではなかった。相思相愛の男女のものであった。
先ほども、彼は自分の体を求めたのでは、なかったのだろう。子供のように涙を流しながら求めたのは、ただ一つ、愛しているという言葉だけだった。
・・・アンドレ、私もお前を・・・。
告げられぬ言葉であった。自分はフェルゼンに、女の幸せを求めぬと誓い、使用人のアンドレをもまた、主人との色恋沙汰で破滅させるわけにはいかなかった。
・・・この想いは、一生告げぬ。
オスカルは立ち上がった。アンドレが何を秘密にしているのか、つきとめねばならなかった。彼を愛する心とは別に、隠し事を許すわけにはいかないのだ。そして・・・失われた己の記憶を取り返さねばならない、たとえ辛い現実であろうとも。
・・・お前を信じている。信じてよいのだな?
立ち上がった途端、再び胸元から男の香りがした。
・・・ああ。
オスカルは、うめいた。
知らぬ間に純潔を失った女に、やっと相応の悲しみが訪れた。
慰めるような炎の音も、掻き起こす手もなく、徐々に力を失っていくのだった。




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No title

どんどん孤独を深めていくO様…!
私、心配の種が尽きません!(でも嬉しい)
更新ありがとうございました!!

No title

毎日ドキドキしながら拝見しています。
オスカル様、アンドレを憎むわけではなさそうでほっとしましたが、、
彼への想いは封印してしまう?のか、、、
この先の展開が気になります。。。
(最後はハッピーエンド、切望です)

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あんぴか様

お読み頂き、ありがとうございます。

まだまだ心配の種が増えますが、よろしくお願いします!

みか様

お読み頂き、ありがとうございます。

最後は完全なハッピーエンドではありませんが、明るく終えることはお約束します。
安心して、ドキドキして下さいまし。

こ・・・様

お読み頂き、ありがとうございます。

一番の山場は越えました。
筋書を忘れそうで、怒涛のようにまいりましたが、後はしばらくゆっくりの更新になる予定です。

私もやはり好きです、オスカル様!

これからも気高く美しく存在して頂きたいと思います。

す・・・様

お読み頂き、ありがとうございます。

ここですんなり両想いになってしまったら、即最終回・・・?
になりそうなので、まだまだドロドロいきますので、宜しくお願いします!

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A・・・様

お読み頂きありがとうございます。

いえいえ、ただもう楽しんで書いているだけです。

ただ、全く原作の通りでは、あの名作に敵うはずがありませんし、
あまりに違いすぎたなら、「どこがベルばら?どこがオスカル?どこがアンドレ?」
となりますので、まあ、その中道をノコノコと歩ませて頂いております。

これからも宜しくお願い致します!

プロフィール

kakonokaori

Author:kakonokaori
「ベルサイユのばら」の二次創作です。個人的な楽しみで執筆しております。原作関係者の方々よりクレームを受けた際には、中止します。お目汚しではございますが、お好きな方はご訪問下さいませ。

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