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悪魔のくすり31

「しまった!」
アンドレは舌打ちをした。
油断があった。物騒な世情である。どんな危険に見舞われても、無事にやり過ごすために、周囲への警戒は怠らない彼であった。しかし、つい先ほどのル・ルーの言葉が頭から離れず、それを発見するのが一瞬遅れた。
どう見ても尋常な雰囲気ではない老若男女が、この馬車を目がけて駆けてきた。
「薬が欲しい!」
「薬の金を寄越せ!」
エベーラという怪しい女が売り出している、万病に効き、それを飲むとたちどころに気分が良くなるという薬。その薬を買う金欲しさに、パリ付近のあちらこちらで強盗、窃盗、果ては殺人まで起きていた。昨日、オスカルもその女のせいで意識を失い、倒れた。
目覚めたオスカルが、涙を流しながら自分を求めたのも、体を重ねたのも、そのために自分が屋敷を離れなくてはならなくなったのも、全てあの女の薬のせいだと、悔しく思っていたアンドレだが、何の罪の呵責も感じさせない人の群れーおそらく四、五十人はいるだろうかーが、何のためらいも見せずにこちらに向かってくるのに背筋が凍った。
「ル・ルー!絶対に外に出るな!飛ばすぞ!」
このまま、人の群れの中を突っ切るのは不可能だった。アンドレは慌てて馬を止め、馬車を真反対に回転させた。
・・・屋敷に戻るしかない!
自分だけならともかく、ル・ルーの身は死んでも守らなければならなかった。どんなにこまっしゃくれていても、まだ少女だ。何かあったら、屋敷の人々も、ローランシー家の人々もどんなに悲しむだろう。それに、アンドレ自身が、この愉快なル・ルーが大好きだった。
馬をむりやり走らせた。全速力の馬車は、路の石で跳ね上がり、大きく揺れ続けた。
「キャ~、アンドレ!向こうからも来る!」
背後でル・ルーが叫んだ。なんと、道なりの木立の中からも二、三十人もの人々が現れた。
・・・ベルサイユからの馬車を待ち伏せしていたな!
新たに現れた人々は、思い思いに石を投げてきた。馬に、アンドレに、馬車に当り、大きな音が鳴った。
「・・・つ!」
アンドレの額や腕に直撃したものは、皮膚を切り、血が流れた。
「アンドレ!」
「逃げるぞ!」
しかし、馬がいななき、足並みが乱れた。石の一つが馬の目に当ったのだ。
・・・だめだ、馬が!
懸命に馬を落ち着かせ、再び走らせようとしたが、乱れた足並みはなかなか戻らず、馬車は馬ごと道を外れ、木立ちに捕らわれ、止まってしまった。
小ぶりだが上品で、大貴族の持ち物だと分かる馬車。人々は猛スピードで群がり、取り囲みだす。
「ル・ルー!」
アンドレはとっさに馬車を捨てる決意をし、扉を開けると、ル・ルーを抱きかかえた。
「いいか、逃げるんだ!俺に何があっても、お前は逃げろ!どこかに隠れるんだ!」
戦うには、あまりに人数が多すぎた。銃は携行していない。二人だけでは逃げ切るのも難しかった。
・・・俺がおとりになるしかない。その間にル・ルーを逃がそう。ル・ルーだけでも!
もとより惜しくもない命。オスカルを守ることが許されないなら、せめて彼女の愛する姪を助けられれば、もう人生に悔いなどないと、彼は心を決めた。
「アンドレ!一緒に逃げるの!」
「だめだ!」
暴徒の大半は、無人の馬車に向かったが、何人かはアンドレ達に向かってきた。
「きゃ~!」
アンドレは、叫ぶル・ルーを茂みの中に押し入れた。そして自分は、暴徒の方へ取って返す。
「金だ!金を寄越せ!」
口からよだれをたらし、ドロンとした眼つきの男が、アンドレに殴りかかてきた。それを彼はかわしたが、続々と集まる男たちの拳が襲ってくる。ル・ルーが安全な場所に逃れるために、彼はこの場所を動くつもりはなかった。何人かは殴り返し、押し倒し、抵抗したが、ナイフを持つ手も集まり、木に背中をつけ、いよいよ逃れられなくなった。
・・・オスカル、これでさよならだな。愛しているよ、永遠に。
もう死ぬだろうと覚悟を決めたアンドレの心に浮かんだのは、愛しい女性の笑顔だった。それは、子供の頃からずっと自分に向けられていた、彼を信頼しきった無垢な笑顔だった。
・・・俺は、たとえお前を抱かなくても、愛していた。幸せだったんだ。その俺が望める以上の幸せを、昨夜手に入れたその代償が、これだ。俺の女神。
大人しく何重もの怒声に身を任そうと、アンドレは力を抜き、目をつぶった。
しかし・・・
ズキューン!
銃声が響いた。
今まさにアンドレに手をかけようとしていた暴徒に動揺が走った。
「ひけー!暴民ども!」
声が響き渡った。
「この馬車に手を出すことは許さぬ!」
訓練された軍人の命令が、人々を威嚇した。その声に、アンドレは聞き覚えがあった。
「・・・フェルゼン伯爵」
あっという間に姿を消していく人々の空間の向こうに、十数人の騎乗の部下を引き連れ、フェルゼンがいた。
「アンドレじゃないか・・・?無事なのか?」
誰を助けたのか気が付いたフェルゼンの、混じりけのない気遣いがアンドレに向けられた。
「伯爵・・・」
アンドレは、ただ茫然としていた。






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Author:kakonokaori
「ベルサイユのばら」の二次創作です。個人的な楽しみで執筆しております。原作関係者の方々よりクレームを受けた際には、中止します。お目汚しではございますが、お好きな方はご訪問下さいませ。

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