全身に衝撃が走った。
腕と肩がちぎれるように痛み、腹が冷たい壁に叩きつけられる。
「ああ・・!」
苦痛に呻きながら目を開けたオスカルは、だが自分がまだ塔から地面に落ちていないことに驚いた。足は宙を切り、空はまだそこにある。
頭に熱い息が掛かった。
「・・・アンドレ!」
驚愕で開かれるオスカルの目のすぐそばに、苦痛で歪むアンドレの顔があった。
「・・・どうして・・?」
「・・・手を離すな、オスカル。」
片腕で自分を抱きしめ、もう片腕で塔の窓枠を掴んでいる男は、荒い息で言った。
「・・・あまり力が入らない・・・お前はディアンヌを離すな・・・アランが来るまで・・耐えてくれ・・・」
風が吹いた。
ロザリーの叫び声が聞こえる。
危うい状況に、オスカルは愕然となる。
飛び出したディアンヌに続いたオスカルは、咄嗟に彼女の腕を掴んだが、窓に手を延ばそうとして届かなかったのだ。彼女諸共、地面に叩きつけられる・・と覚悟したオスカルを温かいものが包み、とらえた。
ディアンヌの腕は、オスカルの右手がしっかりと掴んでいる。その黒髪の揺れるさまが目の端にうつっており、腕も温かい。
生きている。
その腕に力が感じられないのは、気を失っているからなのか。
だが、アンドレは、そんなオスカルを抱えながら、彼自身も宙づりになっていた。
女とはいえ二人の人間の重さを抱えながら、彼は窓枠に掛けた腕一つで落下をこらえているのだ。
すさまじい負担がその腕にかかっているのだろう、アンドレの息は増々荒くなっていく。
「アンドレ・・お前・・」
オスカルの目に涙が滲む。
どうしてお前は、いつもいつも私を助けてくれるのか。命の危険を顧みず、無鉄砲な私を支えてくれるのか。
・・・モンテクレール城でもそうだった。両方の掌の皮膚を破りながらも、お前は縄を離さなかった。
どうしてお前は、それほど私を愛してくれるのか。どうして私が辛い時苦しい時、いつもそばにきてくれるのだ。どうして、どうして・・・
彼女の目からどうしようもなく、涙があふれだした。
「すまない・・・アンドレ・・・」
「どうして・・・謝る・・?」
苦しい中なのに、彼は笑った。
「助かるんだ、俺たち三人・・・いや・・・」
眩しいものを見るような、不思議な目を向けてきた。
「・・・四人なのだろう?違うか?」
「アンドレ・・・」
オスカルは見つめ返す。黒い瞳の中に、これまで以上の温かさが満ちていた。
「俺たちの子か・・・オスカル?お前の中にいるのか・・・本当に・・・?」
「聞いていたのか!」
とんだ神の皮肉だと・・・オスカルはこの状況の中で可笑しくなる。
かなりの時間、アンドレに伝えられずに苦しんでいた事が、よりによってこんな場所で・・・落下死寸前の場所で呆気なくばれてしまったのかと。
「お前・・・立ち聞きはよくないぞ。」
気を失ったディアンヌを離さぬように痛みをこらえながら言うオスカルに、やはり痛みに呻きながらアンドレは言い返す。
「ああ・・・もうこりごりだ・・・」
「まだ、決まったわけではない。今日、医者に診てもらってから、お前に伝えようと思ったのだが。」
「はは・・・お前、医者の代わりに天国に行くところだったぞ、随分まぬけな母親だな・・・」
「馬鹿言え、父親も相当だぞ。」
もう力もあまり残っていないのだろう、苦痛だけが顔に浮かんでいる。汗がオスカルの顔にも滴り落ちてきた。アランのものだろう、塔を揺らすような激しい足音が響いてくるのが唯一の救いだった。
「・・・愛しているよ・・・オスカル・・・」
「私もだ、アンドレ。」
オスカルは胸が熱くなった。
これだけの会話だけで、アンドレが喜んでくれているのが分かる。
自分も、腹の子も、彼は心から愛してくれている。
・・・私は今まで何を悩んでいたのだろう・・・
彼はアンドレなのだ。
アンドレなのだ。
醜い大人の門を潜る前も、潜った後も、ありのままの自分を理解し続けてくれた。
・・・軍人の私も、女の私も、いつも彼は支えてくれていた。
もっと自分をさらけだせばいいのだ。話し合い、たとえ意見が食い違っても、彼は私を尊重してくれ、私も彼を尊重する。
・・・産むよ、お前の子供を。
始めて、心から素直にオスカルはそう感じることができた。
「おい、てめえ、離すんじゃねえぞ!」
アランの大声がした。
「おめえら、全員、一気に引き上げるぞ!」
その言葉通り、どこからそんな力が出るのか、ガクッと視線が動いたかと思うと、オスカルの身体はアンドレ共々、一瞬で塔の中に引きずり込まれた。野生の犬のような汗の臭いがしたかとおもうと、こわばったオスカルの手の先にいるディアンヌも軽々と持ち上げられ、奪われた。
「・・・馬鹿野郎・・ディアンヌ・・・馬鹿野郎・・・」
妹を抱えたアランは泣いていた。むせび泣いていた。
「ディアンヌ嬢は気を失っているだけだろう、アラン。」
床のある安心感にこわばった体を伸ばしながらオスカルは声を掛ける。
「だが、腕を痛めているかもしれない。医者に診てもらったほうがいい。それと、お前にはしばらく休暇を与える。ディアンヌ嬢の傍にいてやれ。これは命令だ。」
「隊長・・・」
泣いている顔を見られたくないのか、一瞬視線をはずしたアランだったが、すぐにまっすぐにオスカルを見た。
「隊長。」
そして彼はディアンヌを抱えたまま、軍人の最敬礼をとる。
「アラン、馬車で送るよ。しばらく馬車の中で休んでろよ。」
床に転がったままのアンドレが、言う。
「ほら、ロザリーがもうすぐ来る。手伝ってもらえ、俺は・・・まだ動けん。」
甲高い声と共に現れたロザリーの泣き笑いがひとしきり済むと、彼女を従えてディアンヌを大事そうに抱えたアランは、アンドレに頷くと、階下に消えていった。
「・・大丈夫か、アンドレ?」
座り込んだオスカルは、倒れたままのアンドレを一瞥する。
「お前、なかなか力があるのだな、驚いたぞ。」
塔の切り出した窓の外は、青空だった。どんよりとしたパリには珍しいほどの青が広がっていた。
オスカルはその青がディアンヌの悲しみが溶けて生まれたように思え、目が離せなかった。彼女の苦しみは、これからも長く長く続くのだろう。助けた自分を恨む日もあるのだろうか・・眠れぬ夜を幾夜過ごすのか・・・とめどなく想いを馳せるオスカルだったが、涙にまみれながらディアンヌを抱えていたアランの姿に、希望をつなぐ。
・・・生きてくれ、ディアンヌ。
頬に手をやると、まだ涙が残っていた。
・・・ふふ、私も泣いていたのだから、おあいこだな、アラン。
後ろから腕が回された。
「アンドレ?」
その腕はやさしく、しかし力強くオスカルの身体を引き寄せ、倒し、包み込んだ。いつの間にか彼女は、床に寝そべったままのアンドレの身体の上に横たわっていた。
「アンドレ、怪我はないか?」
覗き込む彼女に何も答えず、アンドレはただギュッと抱きしめてくる。
「・・・アンドレ」
優しく囁くオスカルに、彼は駄々っ子のように何度も首を振り、腕を離そうとしない。
何度も頬ずりをし、オスカルの温かさを確かめ、存在が失われなかったことにようやく納得したのか、彼は呟く。
「馬鹿野郎・・・馬鹿野郎・・・馬鹿野郎・・・オスカル・・」
泣いていた。彼はオスカルの頬に自分の頬を押し当てながら、泣きじゃくっていた・・・まるで出会った頃の子供のように。
「・・・すまなかった・・・」
オスカルは目を閉じ、彼を抱きしめ返す。
瞼の裏に、青い空が広がった。
腕と肩がちぎれるように痛み、腹が冷たい壁に叩きつけられる。
「ああ・・!」
苦痛に呻きながら目を開けたオスカルは、だが自分がまだ塔から地面に落ちていないことに驚いた。足は宙を切り、空はまだそこにある。
頭に熱い息が掛かった。
「・・・アンドレ!」
驚愕で開かれるオスカルの目のすぐそばに、苦痛で歪むアンドレの顔があった。
「・・・どうして・・?」
「・・・手を離すな、オスカル。」
片腕で自分を抱きしめ、もう片腕で塔の窓枠を掴んでいる男は、荒い息で言った。
「・・・あまり力が入らない・・・お前はディアンヌを離すな・・・アランが来るまで・・耐えてくれ・・・」
風が吹いた。
ロザリーの叫び声が聞こえる。
危うい状況に、オスカルは愕然となる。
飛び出したディアンヌに続いたオスカルは、咄嗟に彼女の腕を掴んだが、窓に手を延ばそうとして届かなかったのだ。彼女諸共、地面に叩きつけられる・・と覚悟したオスカルを温かいものが包み、とらえた。
ディアンヌの腕は、オスカルの右手がしっかりと掴んでいる。その黒髪の揺れるさまが目の端にうつっており、腕も温かい。
生きている。
その腕に力が感じられないのは、気を失っているからなのか。
だが、アンドレは、そんなオスカルを抱えながら、彼自身も宙づりになっていた。
女とはいえ二人の人間の重さを抱えながら、彼は窓枠に掛けた腕一つで落下をこらえているのだ。
すさまじい負担がその腕にかかっているのだろう、アンドレの息は増々荒くなっていく。
「アンドレ・・お前・・」
オスカルの目に涙が滲む。
どうしてお前は、いつもいつも私を助けてくれるのか。命の危険を顧みず、無鉄砲な私を支えてくれるのか。
・・・モンテクレール城でもそうだった。両方の掌の皮膚を破りながらも、お前は縄を離さなかった。
どうしてお前は、それほど私を愛してくれるのか。どうして私が辛い時苦しい時、いつもそばにきてくれるのだ。どうして、どうして・・・
彼女の目からどうしようもなく、涙があふれだした。
「すまない・・・アンドレ・・・」
「どうして・・・謝る・・?」
苦しい中なのに、彼は笑った。
「助かるんだ、俺たち三人・・・いや・・・」
眩しいものを見るような、不思議な目を向けてきた。
「・・・四人なのだろう?違うか?」
「アンドレ・・・」
オスカルは見つめ返す。黒い瞳の中に、これまで以上の温かさが満ちていた。
「俺たちの子か・・・オスカル?お前の中にいるのか・・・本当に・・・?」
「聞いていたのか!」
とんだ神の皮肉だと・・・オスカルはこの状況の中で可笑しくなる。
かなりの時間、アンドレに伝えられずに苦しんでいた事が、よりによってこんな場所で・・・落下死寸前の場所で呆気なくばれてしまったのかと。
「お前・・・立ち聞きはよくないぞ。」
気を失ったディアンヌを離さぬように痛みをこらえながら言うオスカルに、やはり痛みに呻きながらアンドレは言い返す。
「ああ・・・もうこりごりだ・・・」
「まだ、決まったわけではない。今日、医者に診てもらってから、お前に伝えようと思ったのだが。」
「はは・・・お前、医者の代わりに天国に行くところだったぞ、随分まぬけな母親だな・・・」
「馬鹿言え、父親も相当だぞ。」
もう力もあまり残っていないのだろう、苦痛だけが顔に浮かんでいる。汗がオスカルの顔にも滴り落ちてきた。アランのものだろう、塔を揺らすような激しい足音が響いてくるのが唯一の救いだった。
「・・・愛しているよ・・・オスカル・・・」
「私もだ、アンドレ。」
オスカルは胸が熱くなった。
これだけの会話だけで、アンドレが喜んでくれているのが分かる。
自分も、腹の子も、彼は心から愛してくれている。
・・・私は今まで何を悩んでいたのだろう・・・
彼はアンドレなのだ。
アンドレなのだ。
醜い大人の門を潜る前も、潜った後も、ありのままの自分を理解し続けてくれた。
・・・軍人の私も、女の私も、いつも彼は支えてくれていた。
もっと自分をさらけだせばいいのだ。話し合い、たとえ意見が食い違っても、彼は私を尊重してくれ、私も彼を尊重する。
・・・産むよ、お前の子供を。
始めて、心から素直にオスカルはそう感じることができた。
「おい、てめえ、離すんじゃねえぞ!」
アランの大声がした。
「おめえら、全員、一気に引き上げるぞ!」
その言葉通り、どこからそんな力が出るのか、ガクッと視線が動いたかと思うと、オスカルの身体はアンドレ共々、一瞬で塔の中に引きずり込まれた。野生の犬のような汗の臭いがしたかとおもうと、こわばったオスカルの手の先にいるディアンヌも軽々と持ち上げられ、奪われた。
「・・・馬鹿野郎・・ディアンヌ・・・馬鹿野郎・・・」
妹を抱えたアランは泣いていた。むせび泣いていた。
「ディアンヌ嬢は気を失っているだけだろう、アラン。」
床のある安心感にこわばった体を伸ばしながらオスカルは声を掛ける。
「だが、腕を痛めているかもしれない。医者に診てもらったほうがいい。それと、お前にはしばらく休暇を与える。ディアンヌ嬢の傍にいてやれ。これは命令だ。」
「隊長・・・」
泣いている顔を見られたくないのか、一瞬視線をはずしたアランだったが、すぐにまっすぐにオスカルを見た。
「隊長。」
そして彼はディアンヌを抱えたまま、軍人の最敬礼をとる。
「アラン、馬車で送るよ。しばらく馬車の中で休んでろよ。」
床に転がったままのアンドレが、言う。
「ほら、ロザリーがもうすぐ来る。手伝ってもらえ、俺は・・・まだ動けん。」
甲高い声と共に現れたロザリーの泣き笑いがひとしきり済むと、彼女を従えてディアンヌを大事そうに抱えたアランは、アンドレに頷くと、階下に消えていった。
「・・大丈夫か、アンドレ?」
座り込んだオスカルは、倒れたままのアンドレを一瞥する。
「お前、なかなか力があるのだな、驚いたぞ。」
塔の切り出した窓の外は、青空だった。どんよりとしたパリには珍しいほどの青が広がっていた。
オスカルはその青がディアンヌの悲しみが溶けて生まれたように思え、目が離せなかった。彼女の苦しみは、これからも長く長く続くのだろう。助けた自分を恨む日もあるのだろうか・・眠れぬ夜を幾夜過ごすのか・・・とめどなく想いを馳せるオスカルだったが、涙にまみれながらディアンヌを抱えていたアランの姿に、希望をつなぐ。
・・・生きてくれ、ディアンヌ。
頬に手をやると、まだ涙が残っていた。
・・・ふふ、私も泣いていたのだから、おあいこだな、アラン。
後ろから腕が回された。
「アンドレ?」
その腕はやさしく、しかし力強くオスカルの身体を引き寄せ、倒し、包み込んだ。いつの間にか彼女は、床に寝そべったままのアンドレの身体の上に横たわっていた。
「アンドレ、怪我はないか?」
覗き込む彼女に何も答えず、アンドレはただギュッと抱きしめてくる。
「・・・アンドレ」
優しく囁くオスカルに、彼は駄々っ子のように何度も首を振り、腕を離そうとしない。
何度も頬ずりをし、オスカルの温かさを確かめ、存在が失われなかったことにようやく納得したのか、彼は呟く。
「馬鹿野郎・・・馬鹿野郎・・・馬鹿野郎・・・オスカル・・」
泣いていた。彼はオスカルの頬に自分の頬を押し当てながら、泣きじゃくっていた・・・まるで出会った頃の子供のように。
「・・・すまなかった・・・」
オスカルは目を閉じ、彼を抱きしめ返す。
瞼の裏に、青い空が広がった。
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