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希望の行方15

「馬車をおさめたら、すぐに私の部屋へ来てくれ。」
屋敷の玄関ホールの鍵を開けたアンドレに、オスカルはそっと告げた。
アンドレは黙ってうなずくと、自ら御してきた馬と馬車を物音を立てぬように奥へと連れて行く。
屋敷の中は静かであった。
父母も、ル・ルーも、ばあやも、使用人も深いまどろみの中でたゆたっているのだろう。
オスカルは羽織ったアンドレの軍服をぎゅっとつかみ、自室へと足早に向かった。不規則な勤務ゆえ帰りを待たなくてよいと、屋敷の者たちには告げてある。必ずアンドレが付いているので、ばあやでさえ文句を言わなかったのが幸いであった。
・・・男に乱暴されかけたなどと、知られるわけにはいかない。
それならば、刺客に襲われるほうが何十倍もましであると、オスカルは本気で思う。
・・・これぐらいのことで私は負けぬ。だが、父上や母上に知られるのは御免だ。
知ればどれほど両親は悲しむだろう、と胸が痛む。
寝室に入り、開けたカーテンの隙間から茫然と夜空を眺めていると、やがてアンドレが訪れる気配がした。
「・・・こちらに来てくれ、アンドレ。」
開いている寝室の扉を振り向くと、彼が顔をのぞかせた。
「肩の具合はどうだ?冷やすものを持ってきたが・・」
「ああ・・・頼む。」
オスカルは微笑むと、入るように、と仕草で呼んだ。アンドレは幾分ためらいを見せながら、寝室に足を踏み入れる。
「布と・・冷たい水だ。絞って置いておくから、痛い場所に当てておくといい。」
一式を寝台の横の台に置いた彼に、オスカルは何気ない口調で言う。
「お前が当ててくれ、アンドレ。」
「え?」
躊躇する彼の前で、彼女は借りた軍服を脱ぎ落し、破かれた己の軍服も払うように脱ぎ去り、身につけた薄い絹のまま寝台に腰を掛け、金髪を片方に寄せる。
「こちら側だ。自分では手が届かないんだ。」
その体勢で待っていると、不承不承と彼が近づいてくる。
「・・・少し赤くなっているな。数日は色が変わるぞ。痛むか?」
「いや、もうそれほどではない。」
左肩にヒヤリとしたものが、押し当てられる。むき出しの首筋に、アンドレの息が感じられる。知らずにオスカルの動悸が早くなった。
「・・・心配をかけたな。」
「ああ・・」
低い声が答えた。
「何が・・・あったんだ?オスカル。」
男に問いに、彼女はゆっくりと、言葉を選びながら、起こったことを説明していく。
話が進むたびに、肩に当てられた布を通して、男の手がピクリと動いた。声にならない嘆きが降ってくる。
「・・・すまなかった。俺のせいだ。」
聞き終えた男の静かな言葉に、女は頭を振る。
「お前のせいではない。私が甘かったのだ。自分を責めるな。私も・・・反省した。このことはもうケリがついているんだ。彼らも心から反省しているだろう。」
「しかし、俺がお前を守れなかったのは事実だ・・」
アンドレの手が離れた。
「何を・・!」
オスカルが振り向く。
「守ってくれたではないか・・!あんなに怖いお前を・・私は初めて見た。恐ろしくて堪らなかった。私のために、優しいお前があれほど怒るとは・・・!」
まるで地獄からの使いのようであったアンドレの厳しい顔を思い出す。どれほど自分が愛されているか、打ちのめされるほどにオスカルは知ったのだ。
「・・・私は、嬉しかった・・・」
女の声が、ようやく告げた。
「ふふ、可笑しいか・・?私ともあろうものが・・嬉しかったのだ。男に助けられて嬉しいなどと・・」
「そんな、可笑しいものか!」
必死にアンドレが頭を振る。
「お前を守ることが、俺の使命だ!そんな風に言わないでくれ・・俺はお前を危険に晒してしまったんだぞ・・」
涙が、男の目ににじみ出る。それを隠すように彼は頭を背けた。
「俺は・・俺は・・」
「・・・アンドレ・・・」
オスカルは覚悟を決めて、ゆっくりと立ち上がった。
「もし・・お前が辛いというなら・・・償いたいというなら・・・頼みがある。」
女の鼓動が高まる。
屋敷に戻る馬車の中で、彼女は一人思いにふけっていた。
そうして、ようやく決意したのだ。
彼に・・・告げようと。
心の奥に大切にしまい込んであった言葉を告げよう、と。
「・・・今宵、私をお前のものに・・・アンドレ・グランディエ・・・お前のものにしてくれ・・・」
本気であった。
女の身である哀しさが、そして女の強さが、彼女にそう言わしめたのだ。
・・・今夜のようなことが、また起きるとも限らぬ。
暗い想像であった。だが現実として、自分一人ではアランの腕力に抵抗すらできなかった。声さえ上げられずに拉致された。再びアランが愚行に走るとは思わないが、近衛という安全な場所を飛び出した己は、女の体を持つ身は、いつ同様の危険に晒されるかもしれないのだ。
・・・ならば、お前と・・・この身が汚されぬ前に、お前と・・
「・・・オスカル・・」
アンドレは茫然としていた。
「なぜだ・・・」
「私は・・・未来の私ではない私は・・・お前に愛された記憶がない。」
細い声が紡ぎ出される。
「この先・・・何があるか分からない。もちろん、お前と共に生きていく未来を私は勝ち取るつもりだ。だが・・・人間の運命は不確かだ。もしこのまま、お前と夜を共にしなければ、それこそ私は後悔すると・・・神をも恨むだろうと・・・そう思ったのだ。」
青い瞳にも涙がにじんでいた。
「今まで・・・私は強がっていたのだ。未来の私に嫉妬して・・・だから・・・頼む、朝まで私を離すな。」
「・・・オスカル、ああ、オスカル・・・」
アンドレが熱い瞳を向けてきた。それだけでオスカルは幸福に満たされる。体の芯が不思議なほどに熱くなっていく。
しかし、アンドレは、もぎ取るように視線を外した。
「だめだ・・だめだ!俺にはできない!」
「・・・なぜ・・?なぜ、そんなことを言う?」
女の悲嘆に、アンドレは逃げる。
「俺は、お前を幸せにできないんだ!」
「何を、馬鹿な・・!」
絶望が、女の心に黒い影を落とす。
拒絶されるなどと、考えてもみなかったのだ。
「私が幸せでないなどと、何故思う!」
白い腕で男の襟に掴む。
「ええ!アンドレ!私の幸せは、私がよく知っているぞ!」
アンドレは自分の襟もとを掴んでいる白い腕を、両手でとらえると、ぐっと離した。
「・・・何故だ!アンドレ!」
涙があふれ、女の頬を濡らす。
「私が穢されたと思うのか・・・?そう思うのか!」
「違う!」
男の形相がゆがんだ。
「穢されているなどと、言葉にもするな!お前は清らかで、美しい!俺にはもったいないほどに!」
「だったら、なぜ!」
悲鳴のような声に、アンドレは苦しそうに見詰めてくる。
底知れぬ苦悩が、黒い瞳の奥に見え隠れしていた。
「・・・フェルゼン伯に、求婚されたのだろう・・・?」
・・・ああ。
オスカルからため息がもれる。
・・・知ってしまったのだな、アンドレ・・
彼には聞かせたくなかったために黙っていたのだが、折をみて自分から話すべきだったと後悔する。
だが・・と説明しようとするオスカルに、アンドレは耳を貸さずに言う。
「その話、今からでも受ければいい。フェルゼン伯でなくてもいい、真っ当な貴族も大勢いる。お前が本気になれば、本当にお前を守ってくれる力のある人間が現れるはずだ。お前がその身を捧げるべき相手は・・・」
笑みが、暗い表情に浮かんだ。
「そういう男さ。」
・・・アンドレ、アンドレ、何を、何を!
これが私のアンドレかと、オスカルは目を、耳を疑う。
体が震え、ふらつき、寝台に座り込み、ようやく体を支える。
「・・・なぜだ、アンドレ・・・」
めまいがした。自分を取り囲む世界がグルグルと回り始める。フェルゼンに別れを告げた時には感じなかった虚無感が、彼女を襲う。世界が、盤石だと思っていた世界が揺らぐ。
その安定は、三十年近い年月を支えていたものは、ひとえにただ一人の男の存在であった・・・と神が無情にも知らしめす。
・・・苦しい。
金髪が顔を覆う。指がこわばり動かせない。
息が出来ない。
世界がまるで崩壊していくような感覚に、彼女は翻弄された。
それが・・・呼んだのだろうか。
低い声が窓の硝子を響かせた。
誰かが。
窓の外から誰かが近づいてきた。
その声は、オスカルを呼んでいる。
目をあげると、窓にアンドレが映っていた。
「・・・ああ!」
オスカルは叫んだ。
アンドレが窓の外からゆっくりと近づいてくるのだ。
そのアンドレの軍服は血に染まっていた。血まみれの袖をさぐるように前に出し、オスカルの名前を呟き続けている。
・・・これは!
チリチリとした予感が、オスカルを再び立たせる。
部屋の中のアンドレに視線を向けると、彼は亡霊でも見るように、窓を向いて立ちすくんでいた。
「誰だ!」
恐怖にとらわれながら、オスカルが問うた瞬間、その姿が消えた。
同時に、傍らのアンドレの体も床へと崩れ落ちた。
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No title

なんという急展開!!

我慢できず、つい16話まで読み進んでしまいました!

でも拝読して納得、そういう展開に・・・( ;∀;)
もう本当にドSですね~!?

しかし・・・
考えてみればこれでお二人心ののバランスというか、
罪(ではない、と思いたい)の意識の
均衡が保たれることになるのでしょうか。

なんとも悩ましいです( *´艸`)♡

いつもありがとうございます!

あんぴか様

そうですか、16話までお読みになられましたか・・

心のバランスでいえば、ようやく同等に近づいたのかも。
同じ地平にやっと立った感じでしょうか。
それを罪ととるかとらないかが、今後の二人の関係に大きく影響するでしょう・・
・・なんて、単にドSの言い訳です。

明けない夜はありません。
では、また!

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michi・・様

追加のコメントまでありがとうございます。

そうですよね~
若いころは、アントワネットとデュバリー夫人の争いを、女の争いだからと高みの見物を決め込もうとしたオスカルですが、衛兵隊に転属してからの彼女のほうがはるかに魅力的だと、私も思います。

この後、二人がどうなるか・・
後一話、更新したいものです。

もう次が最終回でもいいような気がするのですが、
アラン達もいるので、まだまだ続きます。
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「ベルサイユのばら」の二次創作です。個人的な楽しみで執筆しております。原作関係者の方々よりクレームを受けた際には、中止します。お目汚しではございますが、お好きな方はご訪問下さいませ。

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