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希望の行方10

昼夜逆転の生活が続くと、夜目がきくようになるものだ。
木の幹に腰かけながら、妙なことにアランは感心した。
満月でもないのに、ベルサイユの庭園に根付いている木の梢の細部がはっきりと見て取れる。
ただ、生まれつきの視力も充分良かった。更にいうと、このかた病気らしきものをしたこともない。一晩雨に濡れた程度では風邪など引かない頑健な身体なのだ。この頑健さは、父亡きあとの家族の生活のために大いに役に立った。
父が亡くなったのは、アランが士官学校に上がる前のことである。
まだ十代だった彼は、病弱な母と、無邪気な妹を抱えて、暫し途方に暮れたものだった。
・・・貴族とは名ばかりで、何にもありゃしなかった。
ソワソン家は、新興の貴族である。
金で貴族の称号を買うほどの家なら生活に困ることなどさらさらないが、彼の家は不幸なことに、祖父の武功ゆえに貴族に取り立てられた家系であった。治める領地なんかてんで持たない・・・つまり戦う能力だけが財産だったのだ。
その祖父がやがて亡くなり、次に大した武勲も上げないまま父が早世し、一家の長になった時、アランは考えた。
幸い自分は軍人に向いている。
ならば、何がなんでも士官学校を出るまでは食いつなぎ、士官になろう、と。
士官にさえなってしまえば、棒給も出るし、諸外国との不穏な空気は常に満ちている昨今、祖父のように軍功を上げれば、母に楽をさせ、妹にも幸せな嫁入りがさせられると。
その決意のもと、士官学校の傍ら、何でもやった。人足に混じって力仕事もしたし、軍隊の備品の横流しに手を貸し、困りに困ると、体を売った。これでも十代の頃は、今のようなふてぶてしさもなく、初々しさが残っており、たくましい体がもつ野性味は、暇を持て余した貴族の夫人の受けは悪くなかったのだ。
だが、彼自身は、好きでもない女を抱くことにさっさと興味を失い、中身のない着飾った肉体に嫌気がさした。
話といえばゴシップと自慢話。
夫を持つ身でありながら、鍛えられたアランの肉体にまとわりついてくる白い身体に毎度応えられたのは、ただ、彼も欲望を持て余す若い男であったからだ。
数年は、そんな底辺の生活であった。どれほどアランが奮闘しようが、物価がうなぎ上りのパリの生活では追い付かず、わずかにあった金品も底をついた。文字通り、喰うや喰わずの生活の幕開けである。
貴族などというメッキがはがれ、生活の質がそこいらの平民以下の淀んだものになるにつれ、アランの心は徐々にすさんでいった。
だが、淀んだ水辺に可憐に咲いた花があった。
妹のディアンヌである。
それは、母の教育の賜物である。
食べるものが何もなく、暖をとる薪さえなかった夜に、母は妹をこう諭した。
「ディアンヌ、今夜は大勢の人たちが食べる物と薪が無くて困っていました。私たちソワソン家は貴族ですから、この人たちを助ける義務があるのです。ですから、家にあるものを全て彼らに恵みました。私たちは彼らの代わりに、今夜は何も持たずに過ごしますが、心は誰よりも豊かなのですよ。彼らの喜びを感じながら、眠りにつけますね。」
無茶苦茶な論理だと、アランはそばで寝っ転がりながら思った。
今夜、飢えと寒さで苦しむのは、自分が忍んで行った女の館で、不運にも女の長年の愛人と鉢合わせて揉めたせいで、お足が入らなかっただけのことだ。
この世の中で誰も、うちなんかに感謝してねえよ、と心の中で悪態をつくアランであったが、そんな彼を尻目に、妹は天使のような笑顔を浮かべてうなずくのだ。
はい、お母さま、他の方たちに喜んで頂いて、ディアンヌは幸せです、と。
・・・頭が足りないんじゃないかと、最初は思ったさ。
高貴な者は、それに相応しい義務を果たさなければならない。
落ちぶれても保持していた精一杯の矜持で、母はディアンヌに諭したのだろうが、ディアンヌは、それを真に受けていた。だが、ちょっと考えれば分かるはずだとアランは思っていた。
そんなお幸せな貴族が、どこにいるのか、と。
だが、ディアンヌは違った。成長して、多少でも世の中の仕組みを知り、我が家が本当に貧しくて、施しなど与える貴族なんか絵空事だと理解できる年頃になっても、その高貴な精神は変わらなかったのだ。
・・・あいつは、ディアンヌは、本当の天使だ・・こんな汚ねえ兄貴には全然似てねえ・・
アランは、知っていた。
軍から自分に配給される食糧を、面会日にそっと手渡すのだが、ディアンヌはその大部分を近所のガキに与えているのだ。そして自分は、刺繍などの内職をして家計を助けている。嫁入り間近の娘なのだから、少しは良いドレスでも買えとなけなしの金を渡しても、すぐに食料に変えて配ってしまう。業を煮やしたアランが、ウエディングドレス用の生地を無理やり買え与えた時だけは、嬉しそうに受け取ったのだが。
そんな、ディアンヌである。
アランにとって、妹は宝物だった。
汚れに汚れた自分が打ち捨てたものを、忘れることなく持ち続けている・・
だから、前の隊長を殴ったことなど、少しも後悔していない。
たとえ士官から一兵卒に降格され、軍人としての道を永遠に閉ざされても、たとえ棒給を削られ、妹の持参金に碌な金が用意されなくても、あんな威張るだけの腐った男が泣き叫ぶディアンヌの中に無理やり入り込むことに比べれば、かすり傷ですらない。
と・・夜風が梢を揺らした。
「ア、アラン、もう行こうよ。隊長の声がするよ。」
ジャンがおどおどと声を掛けてきた。
「見回りをしなきゃ、怒られるよ。」
「ちっ・・!」
不満を舌打ちにしながら、アランは腰を上げる。
「なんだって、あの女、夜勤なんかに出張ってきやがるんだ。ろくにサボれやしねえ。」
「俺たちを、見張ってるって・・みんな噂してるよ。」
視線を泳がせながら、小声でジャンが言う。
「と、特に、アランは気をつけたほうがいいよ。」
「ふん。」
なんとも形容しがたいものが、アランの胸の中で膨れ上がる。
・・・あの女が現れる前は、それなりに平和だったんだ。
士官から、単なる班長に落ちた屈辱にも、やがて慣れた。もう未来に希望など無いと覚悟を決めたら、ポッカリと楽になった。金が無ければ、悪知恵を働かせればいいし、勤務などほどほどに手を抜けばいい。自分の群を抜く剣の腕があれば、衛兵隊の奴らを従えるのもたやすい。
そんな男になり下がったアランの前に現れた新しい隊長は、いろんな意味で我慢がならない存在だった。
大貴族、しかも女。
貴族の女といえば、自分の下で喜びの声をあげていた女たちをすぐさま連想したアランだったが、新しい隊長は違った。
見たこともないほど美しく、思いがけずにまっとうなことを言い、そして強かった。
・・・ああ、いらつく。だから何だというんだ、ちくしょう。所詮あの女だって、俺たちを見下しているはずだ。
「行くぞっ!」
「あ、待てよ。」
隊長の声がする方角とは逆に、急に早足になったアランを、慌ててジャンが追いかける。
その時、背後の茂みの奥から不自然な音がした。
反射的にアランの筋肉が張り、手の中の銃を瞬時にかまえる。
息を止めて標的を定めていると、果たして茂みの中から男が現れた。
「待てっ、あやしい奴!」
いつでも弾をぶちこめるように構えながら、アランは間合いをつめる。
現れた男は、マントで身を隠していたが、夜目にも金持ちの男に見えた。アランたちの姿にうろたえた気配を見せたが、銃に怯えはせずに、まっすぐとアランに視線を向けてくる。
「名を名乗れ。」
決して逃がさぬ距離に足を止めて、アランは問うと、男もその場に立ち止まったまま言った。
「あやしいものではない、通せ!」
かすかな外国なまりがあったが、ひどく通る声だった。命令することに慣れている男だ、とアランは直感する。
「ふざけるな!名を言えないなら、詰所まできてもらおう!」
ここは王の居住地にも近い。女との逢引に向いた場所ではないのだ。いかにも高位の男が、一人で忍んでいるのは、何か深い訳があり、もし王に仇名す者であれば、阻止しなければならない。アランは王に忠誠心など持っていないが、軍人としての矜持は辛うじて残っていた。
ところが、その男には言うことを聞く気などさらさらないようであった。
「通せと言っているのだ!衛兵!」
毅然と叫ぶ男の声が響いた。
それが、妙にアランを逆なでする。
・・・偉そうに言いやがって!
「衛兵相手だから、怒鳴ればホイホイと尻尾を巻いて退散すると思ったら、大間違いさ。あんたを逮捕する。」
睨み付けながら言い切ったアランの後ろで、ジャンがおどおどしながらも、銃を構えたまま近づいてきた。
男は、困り切った表情を浮かべながら、アランとジャンに交互に視線を向ける。何が何でも捕まるわけにはいかない・・と目が語っている。
来る・・!
アランがそう思ったと同時に、激しく木の葉をかすめる音がして、背後に飛び込んでくる人物がいた。
銃の位置を保持したままアランが振り向くと、異常を聞きつけたのだろう隊長の姿があった。
「・・・あっ!」
隊長が驚きの声を上げたのを、アランは聞き逃さなかった。
・・・知っている男なのか?
「…フェ・・ル・・」
形の良い唇が、かすかな音を発する。
「あやしいやつなので、逮捕しました。名前を名乗りません。」
アランの報告に、隊長は答えなかった。
その目に、アランなど入っていないようであった。
長いまつげに彩られた瞳は、ひたすらその男を見詰めている。振り返ると、その男もまた隊長だけを見ている。
「・・・オスカル。」
男の声には、隠しきれない親しさがあった。
「そうか・・君は、衛兵隊に・・・」
「ああ・・・」
見えぬ風が吹いた、とアランは感じた。
自分などが預かり知らぬ因縁が、二人の間にはあるのだろう。二人は無言で視線を交わし合っている。男はさきほどとは全く別人のように、やさしげな表情になっており、隊長もまた、アランが見たことのない儚い笑みを浮かべている。
・・・女の顔だ。
アランの胸に、激高するものがあった。
・・・この男、誰なんだ!
隊長に遅れて、アンドレが駆け込んできた。彼もまた、あやしい男の姿を見るなり、驚きの声を発する。そのまま静かに立ちつくす彼の瞳に、一瞬暗い影が浮かんだ。
「隊長!?」
「どうしたんだ、アラン?」
班の連中がパラパラと集まりだした。
「・・・お通ししろ、私が身元を保証する。」
隊長が、静かに言った。
「しかし、隊長!こんな時間にこんな所にいるんですよ、明らかにあやしい!見逃すつもりですか!」
夢中でアランは叫んだ。軍人としての職務以外の得体の知れない感情が、彼を駆り立てる。アランに同調して仲間も、そうだそうだと騒ぎ始める。
だが・・。
「陸軍連隊長であらせられるぞ!」
隊長の一声が、すべてを黙らせる。
・・・陸軍連隊長。
衛兵には、雲の上のような存在だった。
アランがこの先、何十年骨身を惜しまずに勤め上げようとも、決して届かぬ地位に立つ男・・。
驚き、後ずさる仲間の中で、アランはそっとアンドレの表情を盗み見る。この女が愛人だと公言して憚らない奴だが、二人をただ見詰めている傷を帯びた奴の目には、敵わぬ大きなものへの憧憬があるようにアランは感じた。
・・・なぜ、そんなことを思うんだ、俺は。
唾棄したいほど女々しい感情に興味はない、はずなのだ。なぜ、そんな感情に自分は同調するのか・・。
・・・あいつは・・・このアンドレという男は、所詮愛人止まりなのだろう。この貴族の女が、本気で相手にするなら、こんな地位も名誉もある貴族、さ。
かって、豪華な寝台に自分を誘った貴族の女たちを思い出す。彼女たちにとって、自分は性欲を満たすだけの、体のいい道具にしか過ぎなかった。彼女たちは揃いも揃って、結局、地位も金もある男を伴侶としていた。
庭園の梢が囁く下で、暫しの膠着状態が続いた。
先に動いたのは、その男だった。
男は、隊長へと歩み寄り、その耳元に口を寄せて・・・気おくれもみせずに金髪に唇を寄せて、何かをささやいた。
他の誰にも内容は聞こえなかったが、隊長は、そっと頷いて応える。
部下の手前、彼女は無表情を貫いているようであった。
だが、夜目のきくアランには見えた。
青い瞳の艶やかさが、濡れたように増したことを・・。
アランの息が止まった。
・・・こんな・・こんな女、無茶苦茶にして・・・やる。
凶暴な渦が、突如巻き起こった。
・・・こんな女、隊長なんかと、認めるものか。二度と、俺たちの前に現れなくさせてやるさ。
天と地がひっくり返り、巻き起こった渦が、アランの理性を彼から奪い取る。
腕の筋肉が、ギリリときしむ。
それが、長い夜の始まりであった。


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michi・・様

お読み頂き、ありがとうございます。

いえいえ、お気になさることなど、何もありませんよ。
むしろ感想をお寄せ頂いて、とても楽しんでいます。michi・・様はじめ、どの方も好意的なコメントを下さって、ありがたやありがたや状態です。コメントがもし皆無でしたら、最初の「悪魔のくすり」で満足して終わっていたでしょう。
(私こそ、コメント催促のようですね・・)

いよいよ、あの事件です。
予想よりもアランが過激そうで、困っています。
また!

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No title

ああ、とうとう始まってしまいましたね!(゚Д゚;)
原作では「ちょいとしたお仕置き」を、大貴族の女隊長に与えてやる
・・・という程度で始まった一夜。

しかしこのアランは!!

なんだかもう色々と心中渦巻くものがたぎっていて、コワイ・・・( ;∀;)
とんでもないことが起こりそうで、胸がざわざわします!!

続きが気になって気になって・・・待ち遠しいです!
いつもありがとうございます!

アラン,激しいですねえ!

週日中ばたばたして,ちょっとだけご無沙汰致しましたところ…早や,本編第一の山場に差し掛かってきましたね。オスカルとフェルゼンの「瞳の語らい」もドキドキだし(アンドレにはかわいそうだけど…でも,乙女モードのオスカル様,好き!),アランはもう,幾重にもコンプレックスド・フィーリングが折り重なって爆発寸前だし…,読者はもう,次話が待ちきれなくてウズウズ,ソワソワです。この週末,耐えきれるかしら…(苦笑)。というわけで,首を長くして次話をお待ちしております。

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す・・・様

こんなアランで申し訳がない・・!
アランとディアンヌの兄妹は、性格がくっきりはっきり出ましたね。
この二人が話を引っ張っていってくれるだろうと思います。

そう、こんなところに現れるフェルゼンが、みんな悪いのです。

では、また!
次回更新は、少しお待たせします。

あんぴか様

「ちょっとお仕置き」で、あれはちょっと・・
衛兵隊の、特に1班は可愛い連中なのに、あんな簡単なノリで拉致するのか・・?
と、いうことで、このサイトでは、少し変わります。

それに、この辺りは原作では、ほんの数ページに、いろんなことが詰まりすぎていて、凄すぎて太刀打ちできません。
なので、まあ自由に、ドロドロと参ります!

お楽しみに!

ぶうとん様

お久しぶりです!

フェルゼンは初恋の相手ですからね~
まだまだこの時点では、特別なんですよね。
(なんて、密かにアンドレをいじめてみたかっただけかも・・)

アランは、さあどうするか・・!
続きは、しばしお待ちくださいね。

ポ・・様

そう、アランは繊細ですよね。

生涯の片思いの女性が現れて、しかも手の届かない女性で、もうどうしたらいいやらですわ。

過激に走るのか、穏便に収まるのか、さあどうなるか・・!
(実はまだ決まってません)

お楽しみに!

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あま・・様

せつないですよね、アランは・・

生涯でただ一人惚れた女には、既に運命の相手がいるのですからね。
このサイトでは、彼も苦しむでしょう。

この先が楽しみです。
プロフィール

kakonokaori

Author:kakonokaori
「ベルサイユのばら」の二次創作です。個人的な楽しみで執筆しております。原作関係者の方々よりクレームを受けた際には、中止します。お目汚しではございますが、お好きな方はご訪問下さいませ。

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