神様へのお願い(下)

こんなに長かったのか・・。
アンドレは、階段の途中から歩みを遅めた。
「こんなところから落ちていたなら助からなかったな、ディアンヌも・・」
ディアンヌさえ自殺を図ろうとしなければ・・などと、思わないといえば嘘になる。だが生涯でただ一人愛した人間との別れがどれほど辛いか、彼には想像する必要もなかった。自分こそ未来のオスカルの策略とはいえ、一時はベルサイユを離れようとしたのだから。
・・・愛したことは、無駄なんかじゃない、ないんだよ、ディアンヌ、きっと。
アランの妹が愛したのなら、きっと良いところもたくさんあったのだろう。ならば、その男の中にはディアンヌの愛がきっと残っている。今はその眼が曇っていようと、それは、いずれ別の形でこの世に花を咲かせるかもしれない。
そう願うからこそ、アンドレは本来なら過ごしていたかもしれないオスカルと二人、いや三人の生活への憧憬に目を閉じた。いずれ未来で叶うかもしれないという希望も、オスカルほどには持つことはできずにいる。その時を待てるかどうかすら自信がない。
「ふう・・・」
息が切れた。
ようやくのぼりつく。
・・・俺も、もうやはり・・・。
弱気になりそうな自分に、慌ててアンドレは首を振る。
階段を登りきると目の前には壁がある。右側にも手をつけるほどの壁があるが、それが途切れると入口になる。
アンドレは足がすくんだ。まるであの時の恐ろしい光景・・身を投げたディアンヌに続いて、オスカルが躊躇なく飛び出したあの光景が、また再現されそうな錯覚に襲われる。
「大丈夫だ・・・あれは、もう終わったことだ・・・」
自分に言い聞かせ、中に足を踏み入れる、と・・・。
「・・・ああ」
そこに、天使が眠っていた。
ディアンヌが身を投げようとした窓の下に、天使は持たれて眠り込んでいる。横の窓から差し込む光が、その天使の髪をキラキラと光らせている。子供のころのオスカルの金髪を彷彿とさせる女の子だった。恐らく出会った頃のオスカルと同じ年頃だろう。
幾年もの過去の記憶が蘇る。
屋敷に引き取られたアンドレは、使えない剣の相手から解放されたが、続いて待っていたのは、終わりのないオスカルの世話だった。幾度、彼女を探して屋敷の中を彷徨っただろう。かくれんぼしたこともあったし、オスカルが機嫌を損ねて隠れてしまったこともあった。
いずれの時も、半べそをかいたアンドレがようやく発見した時、彼女はすやすやと眠っていたものだ、目の前の天使のごとく。
幸せな思い出だった。
呆然としているアンドレの耳を、風がくすぐった。
「愛しているよ、今もこれからも、永遠に・・。」
オスカルの声。
・・・ああ、そうだ。
アンドレは、思い出す。
あの日、彼女はディアンヌにはっきりと、そう告げた。
ご自分の幸せよりも、愛する方の幸せを願い、その方のためなら命さえ惜しくない・・・それほど男性を愛したことはございますか・・という、ディアンヌの問いに対して、そう・・・
「ああ、オスカル、そうだ、お前はそう言ったんだ、あの時・・」
なぜ思い出せずにいたのか、分からない。
いや、思い出すのが怖かったのだ、あの対になった喜びと慟哭を。
「俺も・・・愛している・・・あの頃から、ずっと・・・俺の・・・」
目の前のもう一人の天使が、気配を感じたのか目を開けた。
「・・・だあれ?」
女の子はきょとんとしていた。
身動きして、光の帯からはずれたその髪は、赤い色だった。
「おじちゃん、だあれ?」
軍服を着た大きな男の姿におびえもせず、女の子は小さいながらにキリっと視線を向けてくる。
「ああ・・・おじさんは、君のお兄さんから頼まれて、探しに来たんだ。」
「ふうん。」
合点がいったというように、女の子は口を尖らせた。
「お兄ちゃん、やっぱり怖くてのぼってこれなかったんだ。弱虫なんだから、もう。」
「え?」
「おじちゃんも、分かってないんだから。あたし、わざとここに隠れていたのよ。お兄ちゃんの弱虫をなおそうとしたの。おじちゃんが探しにきてどうするのよ。」
「・・・はあ。」
おそいぞアンドレやくたたず、おとこがなにをないているんだ、ばかもの。
幼いオスカルの声が、記憶の底から響いてきた。
「あ~あ、今日はもう帰らなくっちゃ。」
女の子はさっと立ち上がり、スカートのお尻をはたく。
「お兄ちゃんは下にいるのね。」
「ああ・・・」
毒気を抜かれたアンドレだったが、耳を澄まし、微笑む。
「いや・・・ここで迎えを待とうか。」
階下から、えっ、えっとしゃくりあげる音がする。それはゆっくり、非常にゆっくりだが、着実に近づいてきている。
「・・・おじさんから、お願いがある。」
アンドレは小声で言う。
「いいか、絶対に、遅いとか、何を泣いているんだとか、ばか者だとか、言ってはいけない。男の子のくせにとか、お兄ちゃんのくせにとかも言ってはいけない。」
「・・・じゃあ、何を言ったらいいの?」
女の子は首を傾げる。
「他に言うこと、ないけど。」
ハハハ、とアンドレは苦笑する。
「本心を言えば、いいんだよ。そのまんま、ね。」
「ほんしん?」
「待っていたって、ね。」
ゆっくりアンドレは繰り返す。
「待っていた・・ってね。」
女の子は、じっとアンドレを見つめていたが、やがてクスリと笑い、頷いた。

「じゃあさ、その子たちは、妹のほうがしっかりしていたんだ?」
兄妹を家まで送り戻ってくると、フランソワが呆然と教会で待っていた。熱心に祈っているフランソワの背中にどうにも声が掛けにくく、告げずに出てしまったアンドレにプリプリ怒っていたが、事情を説明すると、怒りはあっけなく解けた。
「ああ、かなりな。七歳だそうだが、そんな口調ではなかったな。父親は学者だそうだ。父親似のようだな。」
「ふ~ん、すごいなあ。」
学者かあ・・と、素直に関心している。
「俺の妹も、しっかりしてるんだよな。じつは、アランに仕事を紹介しろって言ってきたのも妹なんだ。」
あはっと無邪気にフランソワは告げた。
「面会日に、いきなりアランに突進していったんだ。アランもたじたじしていたよ。はら、アランって、どっちかっていうと、はっきり物言う女性が好きみたいだからさ。」
「・・・ふうん・・・」
「アンドレは?」
「え?」
いきなり話を振られ、アンドレは首を傾げる。
「何が?」
「だから隊長だよ、子供のころからずっと一緒だったんだろ?やっぱり、隊長のほうがずっと強かった?」
「そうだな・・・いや・・・」
唇を二、三度噛みしめながら、アンドレは答えた。
「それはもちろん強かったが・・・一方的ってわけでもなかったぞ。まあ、ほぼ対等ってとこだったな・・・」
「すごいよ、アンドレ!あの隊長と対等だったって!」
そばかすの顔に、尊敬の念が広がった。
「いや・・・まあ・・・・・・ところで・・・」
はっ、とアンドレは教会の椅子から立ち上がった。
「今、何時だ?」
「え?」
「もう戻っているはずの時刻じゃないか?」
「あっ!!!」
フランソワも立ち上がった。
「どうしよう、アンドレ・・・!」
おろおろしていたフランソワだったが、傍らのアンドレに目をやり、安心したように言う。
「よかった、アンドレと一緒だし、事情を説明したら隊長も怒らないよね。」
「そんなわけがないだろう。」
アンドレは血の気が引いていった。
「すぐに帰るぞ、いますぐにだ、フランソワ!」
走り出したアンドレの背中に、フランソワの泣き声が追いかけてくる。
「対等だったって・・・言ったじゃないか・・・」
「知らん!」
「もう、アンドレ・・・待ってってば・・・」
「待てないぞ、走れ!」
おお神よ・・と願うアンドレの走りに、おじさんと呼ばれた片鱗はもうない。
教会の外は、すでに暗かった。


(終)



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Author:kakonokaori
「ベルサイユのばら」の二次創作です。個人的な楽しみで執筆しております。原作関係者の方々よりクレームを受けた際には、中止します。お目汚しではございますが、お好きな方はご訪問下さいませ。

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