希望の行方36

なぜ昼間なのに真っ暗なのか。
なぜ真っ暗なのに、彼の顔が暗闇に浮き上がって見えるのか。
ゴクリとつばの飲み込んで、ル・ルーは言った。
「ねえ・・あなた、目が見えないの?」
浮き上がって見えるアンドレの右目は開かれているが、焦点が定まらないようにル・ルーの頭の上で揺らいでいる。そして左目は閉じられており、その上の傷は、ル・ルーが普段知っているアンドレのものよりも深かった。
「ああ・・何も見えないんだ・・」
抑揚のない声が答える。
「俺に分かるのは声・・と魂の匂いだけだ。ここにはオスカルはいない。いるのはお前だけだ、ル・ルー・・」
「ねえ、子供が危ないって、どういうこと?」
ル・ルーは後ずさる。
「俺たちの子供って・・誰と誰の子供なの?ねえ・・」
「俺たちだ!俺たちの子供だ!」
血に染まった軍服の男が叫ぶ。
「俺とオスカルの子供だ!あいつの腹の中にいる子供だ!俺とオスカルの子だ!」
正気ではないものが、叫び声の中に混じっている。声の主は掴みかかろうかというようにル・ルーに両手を延ばしてきた。
「ぎゃっ!」
とっさにル・ルーが横に逃れると、見えないアンドレの手は空を切り、よろめいた。恐ろしさのために近づけないル・ルーだったが、アンドレがうずくまったまま両手で顔を覆うのを見ると、胸の中にざわざわと言いしれぬものが立ち込め始めた。
「・・・ねえ、哀しいの?」
心細い子供の声で問いかけると、闇の中に半ば溶けている男の肩が震えた。
「俺は・・あいつに・・・オスカルに許されないことを・・。俺のオスカルではなかったのに・・・」
俺のオスカル、俺のオスカル・・狂ったようにそう呟き続ける。
主の不在の寝室の窓の外では、きっと庭師が丹精を込めて手入れをし、侍女が噂話を交わしながら歩き、出入りの商人が戸を叩いていて、日常の雑多な音が満ちているはずなのに、この暗闇には一切のものが響かない。ル・ルーの耳に聞こえるのは、男の嘆きだけだった。
「・・・ル・ルー、知ってる。」
ふと、腑に落ちるものがあった。
「あなたのオスカルお姉ちゃまに・・・会ったことがあるもの。あのお姉ちゃまは・・未来から来て、そして消えてしまったの・・あなたは、あのお姉ちゃまに会っていないの?」
「・・・俺は探した。探して探して探し疲れて・・ようやくここで見つけた・・・」
顔を覆ったまま、彼は言う。
「だが・・違った。あのオスカルは・・俺のオスカルではなかった・・・あいつが愛しているのは・・俺ではない俺だ。この世界の俺だ。ああ、なのに、俺は・・・俺は・・・」
どうして後悔しているのか、何を後悔しているのか、ル・ルーには恐ろしくて口に出せなかった。
ただ、何かがあったのだ。
それは・・いかにも幸せそうで光り輝いていたオスカルの姿の記憶の姿と重なり、消えていく。アンドレと視線を交わし合い、本当に嬉しそうに頬を染めていた叔母の姿は、ル・ルーにとって穢されてはいけない大事なものだった。
「オスカルお姉ちゃまをバカにしないで・・!」
とっさに言葉が小さな口をついて出た。
「お姉ちゃまは、ご自分のことはご自分でお決めになるわ。あなたもアンドレなら知っているはずよ!お姉ちゃまは、今のアンドレも昔のアンドレも未来のアンドレも、全て愛していらっしゃるわ!だから、未来のお姉ちゃまも・・ここにこられたのよ?」
未来から訪れたオスカルを、ル・ルーは思い出す。
その人は、アンドレを守ろうと心を鬼にして憎まれ役を買って出たのだ。あの人は、アンドレならば、どのアンドレでも自分の命と引き換えにしても守るだろう。
ならば、どうして今のオスカルが、未来から来たであろうこのアンドレを愛さないというのだろうか。
どうして、それが不可能なことだと気づかないのか。
「あなたもアンドレなら、しっかりしなさい!」
もし祖母や母がこの状況にいたら言うだろう叱咤を、小さなル・ルーも口にする。
「大事なお話があるから、ル・ルーを呼んだのでしょう?危ないことが起きるのでしょう?だったら、ちゃんと言って!ル・ルーが聞いてあげるから、ちゃんと教えて!」
泣き声に近い響きが闇に消えていった。
静寂が訪れる。
ツン、と耳に栓をするような重い静寂の中で、アンドレはそのまま動きをとめた。このまま消えてしまうのかとル・ルーが不安に思った次の瞬間、彼は再び肩を震わせた。
「・・・はは、ははは・・・」
笑い声であった。
なんと、彼は笑っていた。
うずくまっていた上体を起こし、顔を上げると笑い声をあげ続ける。
「アンドレ・・?」
あっけにとられたが、不思議にル・ルーは恐ろしさを感じない。
その笑い声の中に感じたが・・・生気だったから。
「ル・ルー・・・その通りだ・・その通りだよ・・・俺は長い間オスカルを探し求めて、自分を見失っていた・・・こんな姿になって・・体を失ってまで・・俺は何を・・・・」
アンドレ笑い声はやがて止み、彼はすっと立ち上がった。
「・・・俺は狂っているのか、まだ正気が残っているのか・・・分からない。まだ人間なのか、それとも、とっくに別のものになり果てたのかすら・・・分からない・・・」
闇の中に身体が呑み込まれようし、また現れる。
「ル・ルー・・・オスカルは・・子供を宿している・・」
驚くル・ルーに、彼はさらに告げる。身体はどんどんと透けていく。
「だが子供の魂が・・この世でない世界に向かっている・・俺が迷い込んだこちらに近づいてきているのを感じるんだ・・もうすぐこちらにやってくる・・・」
苦痛が透けていく顔に浮かぶ。
「助けてくれ、頼む・・・」
「待って!」
慌ててル・ルーは大声を出す。そうすれば、消えていく姿を押しとどめられるような気がしたのだ。
「アンドレが、パリに、お姉ちゃまのもとに向かうの!まだ出発していないかもしれないわ、直ぐに連れてくるから、お願い、まだ消えないで!」
だが、彼は力なく首を振る。
「・・・もう、その力はない。もともと命など当の昔に失っている俺だ・・こうして存在していることさえ、神の裁きかもしれない・・触れることさえ許されぬ女性を愛してしまったのだから・・・この正気さえ、いつまで保てるかも分からない・・・」
「アンドレ・・?」
「それに・・・奴は俺を憎んでいる・・・自業自得だ・・・」
自嘲なのか、うっすらとした笑みを浮かべると彼はそのまま闇に消えていった。
「・・・頼む・・・すぐに助けてくれ・・・オスカルを・・・子供を・・・」
「待ってってば!」
追いかけるように延ばしたル・ルーの手は、何も掴めなかった。
「アンドレ!」
急に視界が明るくなった。
窓からの光が叔母の寝室を照らし、ル・ルーの顔にも照り付けている。
窓はカーテンで塞がれておらず、外からは侍女たちの笑い声と馬のひずめの音、そして馬車の車輪が砂利を踏む音が届いてきた。
「やだ、待って!」
ル・ルーは部屋を飛び出す。
馬車を走らせているのは、パリに向かうアンドレなのだろう。
「待って、アンドレ!」
息を切らしながら、ル・ルーは走った。髪が激しく揺れる。
だが、車輪の音は遠ざかって行った。
外に飛び出したル・ルーが見たのは、もう追い付けないほど遠くに巻きあがる砂埃だけだった。
照り付ける太陽に白く光り、叫びもそこには届かなかった。


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Author:kakonokaori
「ベルサイユのばら」の二次創作です。個人的な楽しみで執筆しております。原作関係者の方々よりクレームを受けた際には、中止します。お目汚しではございますが、お好きな方はご訪問下さいませ。

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