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嵐の果て8

また何があったのだろう。
荒い足音と共に、玄関の扉の向こうを声高に男たちが過ぎていく。
ロザリーは夕食の下ごしらえの手を止め、ため息をついた。
近頃はパンも野菜も手に入りにくく、肉や新鮮な魚介に至っては、いつ食卓に乗せたのだろうかと考えるほどだった。それでも、わずかな野菜をスープにし、めっきり高くなったパンを毎日口にできるだけ幸せで、近隣の貧しい家庭では、病気になった子供やお年寄りへ十分な栄養を与えることが出来ず、もう幾人も命を落としていた。
「今日もベルナールは遅いのかしら・・」
乏しい食材に工夫を凝らした夕食であるが、愛する伴侶の帰宅は連日遅い。体を壊さぬようにと、いくら帰りが遅くなってもスープを温めて出迎えるロザリーだったが、ベルナールは己の体調など意にもとめず、連日精力的に動き回っていた。
この国の実権を、我らに・・!
国王ではなく、我ら平民の代表がいずれこの国を動かす・・!
独立を果たしたアメリカの政治を知る者たちには、貴族に搾取される人生を甘んじて受けるなど、もはや笑止千万な愚行でしかないのだ、とベルナールは毎夜熱く語るのを、ロザリーは不思議な気持ちで聴いていた。
小さな野菜の欠片の入った薄いスープをかき混ぜていても、時折、あの豪華なベルサイユ宮殿の貴族たちのざわめきが耳に甦ることがあるからかもしれなかった。
華やかなドレス、奇抜な髪型、優雅で美しく優しかった王妃、そして心から恋焦がれた男装の麗人。
あの日々は、楽しく苦しく、悲痛な思い出と共に幕を下ろしたが、ロザリーの胸の中には、ただ優しかった王妃、人のよさそうな国王、フランスを守ろうとするオスカルやジャルジェ将軍、闊達なフェルゼン伯爵の面影が揺れていた。貴族だというのに、あの人たちの優しさは確かに本物だった。
・・ああ、このままでは、あの方達はどうなるのだろう・・
特にオスカルは民衆に心を寄せることが出来る稀有の人物である。未来からきた彼女を知るロザリーには、大きな渦中にあえて飛び込んでいく彼女の姿しか想像できなかった。
・・どこかに、皆が幸せになる道がないのかしら。
当のオスカルは、ここしばらく訪ねてきてはいない。
多忙なのか、それともこの家に来れば辛い思い出に触れるからかと、ロザリーは気に病んでいたが、ル・ルーやアンドレも姿を見せないことを考えれば、このパリの不穏な情勢は貴族の生活にも影響を与えているのかと思い当たる。
・・オスカル様にお会いしたいなんて、私の我儘だわ。
数日前、ディアンヌから便りがあった。
封を開けた途端、質素で静かな空気があふれ出るような、心が洗われるような文であった。
忙しいが充実した日々を送っていること、神が自分にお与えになった苦しみは、もっと苦しい人々を助けるための試練だったのだと気づいたこと。
巷に溢れる金と欲にまみれた修道院ではなく、身も心も神に捧げた本当に質素な場所を選んだディアンヌは新たな人生を生き始めていた。もともと豊かな心を持つ女性である。貧しい人々、病んだ人々に奉仕する日々に心から満足しているようだった。
涙をぬぐうロザリーは、そして最後の一文に目をとめたのだった。
『オスカル様には心より感謝しております。そしていつの日か、私がオスカル様のお役に立つ日がくると、そんな予感がやみません。ロザリーさん、どうぞあなたのお心にそれを留めておいて。』
・・いつの日か・・
いつの日か。
それはいつか必ずやってくる。
耐えず騒がしい街中のさざ波のような雑音が、ロザリーの周りからふいに消えた。
そう、いつか必ず、オスカル様とアンドレの身の上に、何かが起きるのだ。
・・怖い。
ロザリーは手を止めて、空を見つめた。
世の中は変わっていく。
その危険な渦の中で、自分は大事な人たちを守れるのか・・。
・・ええ、覚えておくわ、ディアンヌさん。
いつの日か、彼女の手を借りることがある・・なぜかロザリーにも確信に近い予感があった。アランとベルナールという味方もいるのだと、胸にほっと手を置く。
・・その時まで、しっかりと健康でいなくては、私もベルナールも。ああ、もう野菜も尽きてきたけれど、明日はいつもの農家のおばあさんのところまで足を運ぼうかしら。ジャルジェ家にいた時からのお付き合いだから、困ったらいつでも言っておいでとおっしゃっておいでだったし・・
充分なお礼はできないから、畑仕事を手伝おうかしら・・と算段する彼女の耳に、玄関の扉を叩く音が飛び込んできた。
「はい、どなたでしょうか?」
用心しながら扉を開くロザリーの目前に、仁王立ちの少女がいた。パリ名物の煤煙に混ざった風に、巻き毛がユラユラと揺れている。ずいぶんと久しい嬉しい客だった。
「あら、あら・・まあまあ、ル・ルーちゃん!お久しぶりね。」
笑みを浮かべるロザリーに、少女はいきなり叫んだ。
「大変なの、ロザリーお姉ちゃま!オスカルお姉ちゃまの大ピンチなの!お願い手を貸して頂戴!」
「・・・オスカル様の・・」
足の力がいきなり抜けて、ロザリーは扉にしがみつく。
「・・何があったの?まさか、まさか、こんなに早く・・」
いつの日かと思っていた日が、まさか今日訪れたのかと、目の前が真っ暗になっていく。
・・いや、いや、オスカル様!どうかご無事でいらして!
ロザリーは床に崩れ落ちていった。今からディアンヌに手紙を書いても間に合うだろうか、ベルナールは今日も帰りが遅いのだろうか、自分はいざとなったらオスカル様を抱えて走れるのだろうか、剣を取って戦えるのか・・と色々なことが一度に頭を駆け巡った。
「大丈夫?ロザリーお姉ちゃま?」
キョトンと驚いているル・ルーに、安心させられるような言葉を探していたロザリーは、すぐに少女の後ろに姿を見せた人物を見て、ポカンと口を開けた。
「・・オスカル様!」
「やあ、ロザリー。」
大きな帽子を深く被り、マントで身を包んでいるが、その帽子のツバから覗く金髪は変わらず眩しく、くすんだ街に一筋の光が差しこんだ。
「どうしたんだい、ん?こんなところで座り込んで、気分でも悪いのか?」
「オスカルさまぁ!」
ロザリーは差し出された手にしがみついた。
「何事かと心配しました。大ピンチだなんて・・オスカル様に何かあったのかと・・ロザリーは目の前が真っ暗になりましたわ・・オスカル様に何かがあれば、ロザリーは息絶えてしまいますわ・・・」
「まったく、ル・ルーのやつが大げさなことを言ったのだろう。私はこの通りピンピンしている。」
ロザリーを立たせながら、オスカルは姪を睨みつける。当のル・ルーは異議がありそうに額にシワを寄せながら言った。
「あら、ここ最近、元気がなかったのをお忘れ?お姉ちゃま?」
「・・・さあ、とにかく中で話をしようではないか。」
何があったのか、さっさと家の中に入ったオスカルは帽子とマントを脱ぎ、ため息をついた。
「パリの治安の悪さは増していると、私も部下から報告を受けている。ロザリー、お前のことも心配していたのだが、元気そうでよかった。」
「はい。私こそ、オスカル様たちのことを案じておりました。こうしてお会いできて本当に嬉しゅうございます。」
椅子を勧めて、ロザリーはお茶の支度にかかった。
「ベルナールは外出中かい?」
「ええ、毎晩遅くならないと帰ってきませんわ。」
「それは・・物騒だな。」
ふむ、とオスカルは考え込む。
「深夜まで一人とは、心配なのだが。」
「あら、大丈夫よ、お姉ちゃま。」
ル・ルーが口を挟む。
「ロザリーお姉ちゃまの寝室の枕元には短銃が隠されているのだもの。」
本当か、と目を向けてくるオスカルに、ロザリーは頷く。
「ベルナールは顔をしかめるのですが、アンドレはそれはいい、と説き伏せてくれました。いつ黒い騎士のような輩が忍び込んでくるかもしれないからって。」
「ほう・・」
オスカルは口角をきゅっとあげて笑みを浮かべた。
「アンドレもたまには気が利くことを言うではないか。あいつは妙に真面目なところがあるから、たまに冗談が通じん。」
「まあ・・」
オスカル様は時々、本気か冗談か分からないことをおっしゃるから・・と曖昧な笑みを浮かべていると、ル・ルーがまたも口を挟む。
「だって、オスカルお姉ちゃまって、冗談にしか思えないことを本気でおやりになろうとすることがあるんだもの。アンドレは、あれは、本気だと困るからわざと分からないふりをしているんだと思うの。」
「・・・なに?」
鋭い光が青い瞳に宿るのを見て、ロザリーが慌てて取りなす。
「殿方は女心に疎いものですわ。ベルナールだって、時々話が通じませんもの。珍しく陽気なさわやかな日に、天使が微笑んでいるようねって言ったら、一体、どこにいるんだい、なんていうんですもの。仕事のことを考え出したら、私の話なんて上の空ですもの。」
「ほう、それは許せんな。」
オスカルがティーカップを優雅に受け取る。
「そういう時こそ、短銃が役に立つのではないか?ベルナールの額につきつけてやればいい。」
ロザリーが返答に困っていると、冗談だ、とオスカルは真顔で言った。
「あ、あの・・こうしておりましたら、いつものオスカル様のようなのですが、何かあったのですか?大ピンチとは?」
「ああ、実はジェローデルに結婚を申し込まれて困っている。」
ガタン、ガチャン、と手元のカップが吹っ飛んだ。テーブルの上に湯気の立つ液体が広がった。危ない、火傷をしていないかと心配するオスカルに構わず、ロザリーは叫んだ。
「まあ、なんてこと、オ、オスカル様に、なんて無礼な!!」
「まったく迷惑な話なのだよ。」
オスカルは深くため息をつく。
「結婚して跡継ぎを産め、と父上はおっしゃっている。ジェローデルが嫌なら、他の男を選べというのだ。」
「選べって、何てこと!!」
ロザリーは憤慨した。相手がアンドレだから、ロザリーは許していたのだ。他の男が大事なオスカル様に触れるなど、とうてい許せやしないのである。
「アンドレはどうしているのですか?」
「あいつは・・私の幸せを一番に考えろと言う。ジェローデルとの結婚を真剣に考えろという。まったく、私の話も聞きやしない。衛兵隊でも特別扱いを断って、他の隊員と同様の任務をこなしているよ。」
俯いたオスカルの顔に、寂しさがよぎっていた。
「あいつは馬鹿なのか。本当に分からないのか・・?」
ロザリーは、そっとオスカルの背後に回り、その肩に手を置いた。
「いいえ、アンドレは分かっておりますわ。オスカル様に心より愛されていることを。ですが、アンドレはいつも、それ以上の愛を返そう、返したいと切望しているのでしょう。オスカル様との間に大きな喜びもありましたけど、大きな悲しみもございました。心から愛する者を得た人間は、自分の喜びを増やすよりも、愛する者の悲しみこそ増やすまいと願うのです。ロザリーには分かりますわ。」
「・・・それは、私も同じだというのにね。」
ロザリーの手に、自分の手を重ねて麗人は呟いた。
「アンドレの苦しそうな顔をこれ以上見たくない。」
ええ、分かりますとも・・とロザリーは大きな瞳に涙を浮かべた。
「ロザリーにできることなら、なんでもおっしゃってくださいませ。そのためにおいでになったのでしょう?」
「ああ、そうだ。」
オスカルは、振り向いて言った。
「今度、私の婿選びのための舞踏会が開催される。それに、ロザリー、お前とアンドレの二人で出席してくれないか?費用は父上持ちだ、うんと着飾ってくれればよい。」
動きが止まったロザリーは、次にフラフラと後ずさりした。傷んでいる床板を踏み、キシキシと音がなる。
オスカルは真面目な顔でこちらを見ている。
・・冗談では・・
と、ル・ルーを見ると、ちゃっかりお茶を飲んでいた少女は、本当よ、というようにニッコリと微笑んだ。
ロザリーは、叫んだ。


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Author:kakonokaori
「ベルサイユのばら」の二次創作です。個人的な楽しみで執筆しております。原作関係者の方々よりクレームを受けた際には、中止します。お目汚しではございますが、お好きな方はご訪問下さいませ。

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